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ビディ・アーリーの小屋を探訪
私の住むフィークル村のアイルから、南東に数キロk行ったところに「ビディ・アーリーの小屋(Biddy Early's Cottage)」と呼ばれている廃屋があります。
ビディ・アーリーの小屋はフィークルの村外れの、ドロモアという場所にある森の中にひっそりと建っています。
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ビディ・アーリーは19世紀にフィークルに住んでいた"民間療法士"です。
ハーブを使用した民間療法士(Herbalist)としてよく知られていた存在でしたが、あまりにもよく効くので地元の教会から魔女との疑いをかけられ、本当に魔女裁判にかけられてしまったという伝説の残っています。
ビディのハーブ療法はよく効いたそうで、かのダニエル・オコンネル*もフィークルのビディ・アーリーの小屋に足しげく通っていたそうです。
*カトリック開放の父と呼ばれる19世紀の政治家。オコンネル自身はケリー州の出身ですが、選挙区はクレア州を基盤していたそうです。
ビディは1798年に東クレアのキラニーナ(Kilanena)に生まれました。彼女の母親もハーブ療法士として知られていたそうで、ハーブの知識は母親から教えられたそうです。
ビディが18歳のときに家を離れリムリックに働きに出ますが、後に結婚に伴い東クレアへと戻りフィークルのドロモアという所に居を構えました。
ドロモアの家は2部屋しかない小さな家でしたが、ビディのハーブ療法を受けたい人達が頻繁に訪ねてきていたそうです。
ところがビディのハーブ療法の評判が高いことを危惧した教会が、ビディを魔女として告発し裁判にかけられてしまいます。当時のアイルランドには1586年に制定された「ウィッチクラフト法」という魔女術を禁じた法律があったそうで、その法律に乗っ取って裁判にかけられたそうです。ちなみにビディが裁判にかけられたのは1865年のことだったそうです。判決がどうだったのかは分かりませんが、実際に魔女裁判にかけられたのは事実らしいです。
ビディが1874年に亡くなると、その後ビディの住んだ家は荒れるに任せたままに廃墟と化してしまったそうですが、1960年代後半にフィークル出身の医師で地方議員でもあったドクター・ビル・ロックナーンという人が、特に名所らしい名所のないフィークルに観光客を呼び込むためと、ビディ・アーリーの小屋を買い取り家の修復に着手しました。
当時のフィークルではビディ・アーリーは優れたハーブ療法士としての功績よりも、「魔女」としてのイメージの方が大きかったそうで、ビディ・アーリーの小屋に近づくと祟りがあるといってフィークルの村人たちの多くはビル・ロックナーンのビディ・アーリーの小屋の観光地化には反対だったようです。
ビル・ロックナーンはそんな反対意見には耳を貸さず、ビディ・アーリーの小屋の修復作業に精を出していたのですが、ビルの奥さんと娘が相次いで亡くなるという不幸に見舞われてしまうのでした。これにはさすがのビルもビディ・アーリーの祟りに違いないと結局途中で修復作業から手を引いてしまい、ビディ・アーリーの小屋は再び廃墟と化してしまったそうです。
上の写真がフィークルの医師にして、地方議員でもあったドクター・ビル・ロックナーンによって修復されたビディ・アーリーの小屋。
一応ここまで修復させたようですが、その後相次いで不幸が重なったため、観光地化されることはなかったそうです。
ちなみにドクター・ビル・ロックナーンはフィークル出身の医師で地方議員でもあったのですが、フィドル奏者としても良く知られていました。
初期のタラ・ケーリー・バンドにメンバーとして参加しています。
なおフィークルのメインストリートにあるロックナーンズ・ホステルを経営しているのは、ドクター・ビル・ロックナーンの息子さんです。
フィークルのメインストリートのロックナーンズ・ホステル。
経営しているのはビル・ロックナーンの息子さんのです。
ビディ・アーリーの小屋はドロモア(Dromore)という場所の丘の中腹にあります。ドロモアの丘はフィークルからリムリック方面に向かう時に通るR468(県道468号線)沿いにあるので、比較的見つけやすいところにあると思います。(私の住むアイルロッジよりも簡単に見つけられるはずです。)
ビディ・アーリーの小屋への入り口付近から撮影した、フィークルからリムリック方面に抜ける県道468号線。駐車スペースが限られているので、停めるところがなかった場合はドロモア湖(Dromore Lough)の湖畔に停めるといいでしょう。
県道468号線沿いの入り口(目印が付けられています)から森の中に入ります。
森の中に入ると細い道があるので、細道に沿って数十メートル進むと、木々に覆われた石壁だけの小屋が見えると思います。その小屋がビディ・アーリーの小屋です。
木々に覆われてひっそりと佇むビディ・アーリーの小屋。
小屋の入り口です。
小屋の中に入ってみました。
中に入る時にドア枠のところに、妖精(妖怪?)の置き物がぶら下がっていて、ちょっとびっくりしました。。
小屋の中の様子です。もともとは中で2部屋に分かれていたそうです。
窓のあったところには色々なお供え物?が置かれていました。
窓はもう一つあります。
こちらはもう片方の窓。こちら側に何のお供え物してありません。
ブルマーズ*の缶や、ジャックオーランタンとか色々なものが供えてあります。*アイルランドのサイダー[シードル」。日本ではマグナーズという名前で売られています。
お供え物?の妖精。ビディ・アーリーには妖精と話ができたという伝説が残っているそうです。
お供え物コーナーの青のボトルとギネスの瓶。ちなみにビディ・アーリーはハーブを調合するときに青いボトルを使っていたそうです。ビディが亡くなった後ボトルは教会に没収されてしまい、湖に投げ込まれてしまったそうです。
お供え物コーナーのコイン。コインを置いていくと健康になれると言われているそうです。
ジェムソン・ウイスキーもありました。ビディ・アーリーは大変な酒豪だったそうです。死因も確か飲みすぎが原因だったらしいです。
木々が覆い被さっているので、よく分かりにくいですが小屋の煙突の部分です。
在りし日のビディ・アーリーの小屋です。左側に煙突があります。
ビディ・アーリーの小屋を見た後は、ドロモアの丘に登ってみました。木々をかき分けて丘の上を登ります。
丘の上は開けていて、綺麗な眺めが広がっています。
前方に見える山並みはクレア最高峰のSlieve Bearnagh山脈です。
Slieve Bearnagh山脈に登った時の模様はこちらのページをご覧ください。
こちらは一つ手前の写真とは反対側の方向(北側)の眺めです。左手奥にマハラ山(Maghera Mountain)が見えます。マハラ山についてはこちらのページをご覧ください。
ドロモアの丘から見下ろしたドロモア湖(Dromore Lough)。言い伝えによると、ビディ・アーリーがハーブの調合(?)に使っていた青いボトルは、この湖に沈んでいるそうです。
ドロモアの丘に生えていたブラックベリー。
こちらは同じくドロモアの丘に実っていたブルーベリー。
私がたまたまビディ・アーリーについて興味を持つようになったのとほぼ同時期に、タイミングよくビディ・アーリーのことについてレクチャーがエニスであったので、行ってみました。
レクチャーを担当したのはメダ・ライアン(Meda Ryan)というビディ・アーリーについての本を書いている人でした。
レクチャーはエニスにあるオールド・グランド・ホテルで行われました。
ビディ・アーリーについてレクチャーするメダ・ライアン女史。
レクチャーの中でビディ・アーリーの小屋に行ったことある人は居ますか?と尋ねてきたのですが、なんと手を挙げたのは私一人だけした。
レクチャーの後に彼女の書いたビディ・アーリーの本を買ってみました。
ビディ・アーリーの小屋の近くに住んでいて、ビディ・アーリーの小屋にも行ったことがあると言ったら驚いていました。
ビディ・アーリーについてとても詳しく書かれているので、ビディ・アーリーについて知るのに役に立ちそうです。
ビディ・アーリーの小屋を探検した際に撮った動画です。
BGMに使用した曲はアイルランドのアイドルグループ「ビー・ウィッチド(B*Witched)」のセ・ラ・ヴィ(C'est La Vie)という曲です。魔女繋がりでこの曲にしてみました。
アイルランド音楽の世界で「バイブル」と呼ばれている楽譜集「オニールズ1001」の中にビディ・アーリーの名を冠した曲が収められています。
ホーンパイプなのですが、滅多に聞くことのないレア・チューンです。