アイルランドの音楽を代表するフィドル奏者を時代、地域別に紹介する「フィドル奏者名鑑」の2ページ目です。(1ページ目はこちら)
このページではアイルランド中西部のゴールウェイ州、クレア州、ティペラリー州、ウォーターフォード州出身、またはゆかりのある奏者を紹介しています。
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ゴールウェイは東西に広いので、東と西で大分音楽が異なります。西側のコネマラに伝わる奏法と、東側のイースト・ゴールウェイ・スタイル(東ゴールウェイスタイル)が代表的なスタイルです。ゴールウェイの州都のゴールウェイ市も音楽の盛んな所ですが、ゴールウェイの町はアイルランド中ならびに世界中から演奏家が集まっているので、これぞ「ゴールウェイ・スタイル」と呼べるような演奏スタイルはないという話です。
ちなみにゴールウェイ州の最高峰はコネマラにあります。
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フランキー・ギャビンはゴールウェイ州の「Corrandulla」出身のフィドル奏者です。フルートやティンホイッスルも達者です。この人も"ゴールウェイのフランキー・ギャビン」と言うよりか、「デ・ダナンのフランキー・ギャビン」といった方が早いでしょうか。アイルランド最高峰のフィドル奏者の一人です。
フランキー・ギャビンのCD 「Frankie's Goes to Town」
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メーヴ・ドネリーは東ゴールウェイの出身ですが、長年クレアに住んでいるのでクレアの演奏家のイメージの方が強いです。70年代にハーモニカのエディ・クラークなどと共にリリースした「Sailing into Walpole's Marsh」はこの時代にリリースされたアルバムの中では名盤に数えられています。クレアに引っ越してきてからは、先に紹介したスライゴ州出身でクレア在住のマニュス・マグワイアとともに「ムービングクラウド(Moving Cloud)」の一員となっています。
元タラケーリーバンドのフルート奏者「Peadar O'Loughlin」とも親交があり、二人でデュエットアルバムを一枚残しています。
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イースト・ゴールウェイ・スタイルとはゴールウェイ州の東側に伝わる奏法です。ゴールウェイの東側といっても色々な場所がありますが、アイルランド伝統音楽の世界で「イースト・ゴールウェイ・スタイル(東ゴールウェイ・スタイル)」といえば、「Loughrea(ロックレイ)」や「Aughrim(アクリム)」あたりを中心としたエリアで演奏されている音楽を指すようです。このスタイルの核となる演奏家の大半がこのエリアの出身です。
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パディ・ケリーは東ゴールウェイスタイルを語る上でとても重要な奏者の1人です。
東ゴールウェイ・スタイルといえばパディ・ファヒーが有名ですが、パディ・ケリーはパディ・ファヒーの一世代上の奏者で、パディ・ファヒーの父親のジャック・ファヒーと共に伝説的なケーリー・バンド「アクリム・スロープス・ケーリーバンド(Aughrim Slopes Ceili Band)」の結成に携わった伝説的な奏者です。
曲の作曲でも知られており、「The New Custom House」、「 St. Ruth's Bush」、「Paddy Kelly's Four Part」などが代表曲として知られています。
リムリック、ゴールウェイ出身の演奏家を収めたコンピレーション・アルバム。
パディ・ケリーの演奏が2トラック収録されています。
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東ゴールウェイのフィドル奏者といえばまず真っ先にこの人の名前が出てくるのではないでしょうか。
パディ・ファヒーは東ゴールウェイ・スタイルのレジェンドの中のレジェンドといった奏者です。
作曲した曲が有名なので、名前を聞いたことがあるという人は多いと思いますが、本人の演奏をいたことがないという人が多いです。
下に載せた音源は貴重なパディ・ファヒー自身による自身が作曲した曲の演奏です。
音源は私がパディ・ファヒーの自宅を訪問した際に録音したものです。
一緒に弾いているのはパディ・ファヒーの息子さんのジョン・ファヒーです。
ソロでないのが残念ですが、CDでリリースされているものとして唯一パディ・ファヒーの演奏を聞くことができる「All-Ireland Ceili Band Champions Reunion Concert」。アイリッシュ音楽の国際コンクールで「フラー・キョール」で優勝経験のあるケーリー・バンドが一堂に会して行ったコンサートの模様を収録したCDで、パディ・ファヒーは「アクリム・スロープス・ケーリー・バンド」の一員として演奏しています。
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アギー・ホワイトは東ゴールウェイの「Ballinakill」出身のフィドル奏者です。「Ballinakill」は世界初のケーリーバンドと言われる「Ballinakill Traditional Dance Players」が結成された地として知られています。
アギー・ホワイトの父親のトミー・ホワイトはBallinakill Traditional Dance Playersから派生した「Ballinakill Ceili Band」の初代のメンバーの一人でした。
アギー・ホワイト自身はタラ・ケーリー・バンド(Tulla Ceili Band)の初期のメンバーとして、マーティン・ヘイズの父親のP.Joeヘイズとともに、タラ・ケーリーのフィドルサウンドを支えました。
アギー・ホワイトはアイルランド音楽の国際コンクール「フラー(Fleadh)」のフィドル部門において女性として初めて優勝したフィドラーとしても知られています。
フルセットというバンドで活躍するフィドルのマイケル・ハリソンはアギー・ホワイトの孫にあたります。
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ルーシー・ファーもアギー・ホワイトと同じくバリナキル(Ballinakill)出身のフィドル奏者です。若い頃にロンドンに渡っているので、東ゴールウェイの奏者であると共に1960年代以降のロンドンにおけるアイルランド音楽のセッションシーンを牽引した奏者としても知られています。彼女の演奏はロンドンのセッションで録音された「Paddy in the Smoke」というコンピレーションアルバムで聞く事ができます。ソロアルバムも一枚リリースしています。彼女の名前は「ルーシー・ファーズ(Lucy Farr's)」という曲の名前のもとにもなっています。
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マーティン・バーンズは東ゴールウェイの「Ahacragh」出身のフィドル奏者です。
マーティン・バーンズもルーシー・ファーと同じくロンドンに移り住み、ロンドンのアイルランド音楽シーンで活躍しました。
掲載した参考音源で弾いている曲は「クリスマス・イヴ」という有名なリールで、この曲を作曲したトミー・コーエン(Tommy Coen)も東ゴールウェイ出身の演奏家です。
また参考音源で一緒にフルートを吹いているのは、歌手の「ドロレス・キーン(Dolores Keane)」です。
マーティン・バーンズは1970年のオールアイルランドで優勝しています。
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コナー・タリーは東ゴールウェイの「ロクレイ(Loughrea)」出身のフィドル奏者です。
同じロクレイ出身のフルート奏者「パディ・カーティー(Paddy Carty)」と録音したアルバムは東ゴールウェイ・スタイルを知る格好の一枚として知られています。
掲載した参考動画でバンジョーを弾いているのは、クレア出身の有名なフィドル奏者「ボビー・ケイシー(Bobby Casey)」の息子の「ショーン・ケイシー(Sean Casey)」です。
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ティペラリー州*は南北に長い州で、アイルランド共和国にある26の州の中で唯一県庁所在地が2つの町に分かれて存在しています。
ティペラリー州の北西部は東ゴールウェイならびに東クレアと接しているので、この地域の音楽は割と東ゴールウェイや東クレアの音楽と近いところがあります。
*アイルランドの人の発音を聞くと「ティペレアリー」に近い感じがします。
ティペラリー州は南北に広がっていて、南と北では大分印象が異なります。ティペラリー州の最高地点はリムリック州とコーク州と県境するティペラリー州の南西部に位置しています。山の近くにはレーガン大統領の先祖の出身地や、中でライブも出来る鍾乳洞「ミッチェルズタウン洞窟」など見所が多くあります。
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「ショーン・ライアン」といえば同姓同名のティンホイッスルの奏者が居ますが、こちらはフィドルの「ショーン・ライアン」です。
ショーン・ライアンはティペラリー州のニュータウン(Newtown)出身のフィドル奏者です。
フィドルだけでなくフルートやステップダンスにも長けていました。
ショーン・ライアンといえば演奏だけでなく作曲でもよく知られています。「リールオブリオ(Reel of Rio)」や「Glen of Aherlow」、「The Castle Jig」や「Nightingale」、「Twilight In Portroe」などが代表曲として知られています。
ショーンは1955年と1956年のオールアイルランド(フラー・ヒョール・ナ・へーレン)で優勝しています。
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アイリーン・オブライエンはティペラリー州の北部側の県庁所在地である「ニーナ(Nenagh)」出身のフィドル奏者です。
アイリッシュ音楽におけるB/Cスタイルのアコーディオンの祖と呼ばれるパディー・オブライエンを父に持ちます。
一つ前に紹介したフィドルのショーン・ライアンはアイリーンの父親のパディ・オブライエンのいとこです。
パディ・オブライエンも作曲家としても有名で、数々の名曲を残しています。
アイリーンは1980年のオールアイルランドフラー(All-Ireland Fleadh)の優勝者です。
2012年には「Aon le h'Aon」というソロアルバムをリリースしています。
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ジェリー・オコナーは上のアイリーン・オブライエンと同じくティペラリー州ニーナ出身のバンジョー&フィドルの演奏家です。
ジェリー・オコナーといえばバンジョー奏者としてのイメージの方が強いですが、フィドルも弾きます。
ジェリー・オコナーの父親のリアム・オコナー(Liam O'Connor)*は優れたフィドル奏者で、上のアイリーン・オブライエンの父親のパディ・オブライエンが結成したオーモンド・ケーリー・バンド(Ormond Ceili Band)のメンバーでした。*同姓同名の超有名なフィドル奏者が居ますが、有名なリアム・オコナーとは関係ありません。
下の参考動画で弾いている曲はジェリー・オコナー自身によって作曲された「Punch in the Dark」という曲で、ルナサなどもレパートリーに取り入れている人気のある曲です。
ジェリー・オコナーといえば超絶技巧のバンジョーの演奏で有名です。
セッションチューンとしてもよく弾かれる「グリーン・マウンテン」をこんな風にアレンジできるなんて・・・凄すぎです。
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マイケル・ハリソンもアイリーン・オブライエンやジェリー・オコナーと同じくティペラリー州ニーナ出身のフィドル奏者です。
マイケル・ハリソンはこのページで紹介したダンドーク出身のオールアイルランド覇者のフィドル奏者「ブレンダン・ラリシー」の門下生です。
マイケル・ハリソン自身も2005年のオールアイルランド(フラー・キョール)で優勝しています。
現在は「フルセット(Fullset)」というバンドのリーダーとして活躍しています。
このページ上で紹介した東ゴールウェイ・スタイルの「アギー・ホワイト(Aggie Whyte)」は彼の祖母にあたります。
マイケル・ハリソンがリーダーを務めるバンド「フルセット」のCD
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キャスリーン・ネズビットはロスコモン州出身のフィドル奏者です、
現在はティペラリー州に在住しています。
伝統音楽の講師として地元でフィドルを教えているほか、アイルランド音楽最大のフェスティバル「フラー(Fleadh)」の期間中に開催されるサマースクールでも講師を務めています。
講師としての評判が高く、フィドルの教則本も書いていますが、キャスリーン・ネズビットといえば最近ではケルティックウーマンのマレード・ネズビットの母親としてのイメージの方が強いかもしれません。
キャスリーン・ネズビットが書いたフィドルの教則本
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マレイド・ネズビットは上で紹介したキャスリーン・ネズビットの娘です。と紹介するよりも「ケルティックウーマン」のマレイド・ネズビットと紹介した方が早いでしょうか。
日本でも人気のあるグループなので、知っている方も多いかもしれません。
フィドルを始めたくなったきっかけがケルティックウーマンという人も多いらしく、私の教室にもそういう方がよく訪ねてきます。
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ウォータフォード州はティペラリー州の南側に位置するマンスター地方に属する州です。ウォーターフォードクリスタルで有名な所なので、州の名前は知っている人も多いかと思いますが、伝統音楽に関してはやや地味な印象がある州かもしれません。とはいってもなにげにウォータフォードにはゲールタハト(日常的にアイルランド語を使っている地域)があり、ニコラス・トビーン(Nioclás Tóibín)などの名シャーンノス・シンガーを輩出しています。戦前に活躍したアイリッシュバンジョーのパイオニア「マイク・フラナガン(Mike Flanagan)」や2ページ目で紹介しているロンドンで活躍したフィドル奏者「ジミー・パワー(Jimmy Power)」もウォータフォードの出身です。最近では「Danú」というバンドがウォーターフォード拠点のグループとして知られています。
ちなみにウォーターフォード州の最高地点はこんな所でした。
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この少年フィドラーを「名鑑」に入れてしまっていいのか迷ったのですが、丁度私の生徒さんにこの少年と同じ年の子が居るので、発奮材料になればと思いよく見せてあげていた動画です。この少年は2014年の「フラー(アイルランド音楽の国際コンクール)」のフィドルの12歳以下の部門で優勝したシェイマス・ゴーマン君です。ウォーターフォード細かい所では若干粗削りな部分もありますが、全体的にはかなりクオリティの高い演奏をする子です。これがアイルランドのコンクールで必要とされる演奏能力の最低ラインと思っていいのではないでしょうか。年齢が上がるとさらにレベルも上がりますので、O18部門(成人の部門)ではさらに高度な技術を必要されます。
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セーラ・ゴーマン(Sarah O'Gorman[セーラ・オゴーマン]と綴られることもあります。)は上のシェイマス・ゴーマン君のお姉さんです。彼女も小さい頃からアイルランド音楽の国際コンクール「フラー」で活躍してきたアイルランド音楽界の次世代を担う演奏家の1人です。
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レベッカ・マッカーシー・ケントはウォーターフォード州のトラモア(Tramore)出身のフィドル奏者です。彼女もまだまだ若い奏者なので、「名鑑」に入れるほどではないかもしれませんが、10代の頃からオールアイルランドの常連で18歳以下の部門で優勝経験があります。彼女は私がアイルランド公認のフィドル認定講師資格「TTCT Exam(TTCT試験)」を受験した際に一緒だった子で、試験の前の"教育実習"で互いに教え合ったりしたことがありました。技術的な部分や曲のアレンジなど色々な部分でお手本になる奏者さんだと思います。アイルランド音楽界全体ではマイナーかもしれませんが、アイルランドにはこういう奏者がいっぱい居るのです。
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クレア州は言わずと知れたアイルランドの中でも特にアイルランド音楽が盛んなエリアです。毎年7月にクレア州西部のミルタウンマルベイで開催されるアイルランド音楽界最大のサマースクール「ウィリークランシー・サマースクール」はアイルランドでアイルランドの音楽を弾く人であれば、一生に一度は必ず参加するサマースクールです。そんな音楽の盛んな土地ですが、クレア州も西部と東部、北部と南部では若干演奏法が異なります。フィドルの演奏法においては、東部のイーストクレアスタイル、西部のウエストクレアスタイルが代表的です。
なおクレア州の最高地点はクレアの東側にあります。クレア州の最高峰はこんな所です。
Moylussa Co. Clare 532m モイルッサ山 クレア州(県)最高峰
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ジョーン・ハンラハン*は何を隠そう私「Taka」の最初の先生なのです。彼女は演奏家としては、ものすごく高い評判を得ているわけではないですが、クレアの音楽界ではとてもポピュラーな存在です。ジョーンは20年以上にわたってクレア州のローカルFM「クレアFM」で伝統音楽のパーソナリティーを担当していて、クレア界隈の伝統音楽ファンにとっては無くてはならない番組の一つとなっています。先生としても評判が高く彼女の生徒の中にはアイルランド音楽の国際コンクール「フラー」で活躍した子も居ます。自身の演奏活動ではクレア出身の著名なコンサーティーナ奏者メアリー・マクナマラの弟のアンドリュー・マクナマラ率いる「ラホーンズ(Lahawns)」というバンドの一員としてアルバムを出しています。彼女は自分のラジオ番組を持っていることから、ものすごい情報通です。多分私が情報通(?)になったのも彼女の影響が強いと思います。
ちなみに私(Taka)といえば、この下でも紹介しているマーティン・ヘイズの大ファンということで知られている(?)らしいですが、アイルランド音楽に興味を持ったころはマーティン・ヘイズのことは全然知らず、たまたま偶然ジョーン・ハンラハンの教室でフィドルを習うことになったのがきっかけで、ジョーンと同じバンドで弾いているアンドリュー・マクナマラのことを知り、アンドリューと知り合ったのがきっかけで、アンドリューの姉で有名なコンサーティーナ奏者のメアリー・マクナマラのことを知り、メアリーと知り合ったのがきっかけで、メアリーの幼馴染のマーティン・ヘイズのことを知ったのです。
と言った感じで、紆余曲折があってマーティンの演奏に出会ったのですが、どちらかというと私自身の演奏の中でマーティンの影響はごくごく間接的であって、直接的には師であるジョーン・ハンラハンや一時期お世話になったメアリー・マクナマラからの影響の方が大きいです。
もちろん前ページで紹介した、ジョーンの後に習った「ブレンダン・ラリシー(Brendan Larrisey)」からの影響も大きいです。
なんの偶然かブレンダン・ラリシーもアンドリュー・マクナマラとよく一緒に弾く間柄です。(前ページのブレンダン・ラリシーの項目を参照)
ジョーン・ハンラハンがメンバーとして参加している「ラホーンズ」のCD
ウィリー・クランシー・サマースクール期間中の特別出張放送でパーソナリティーを務めるジョーン・ハンラハン。動画の中で演奏しているのは、自身のバンド仲間であったアンドリュー・マクナマラの姉のメアリー・マクナマラとその娘でこの下で紹介している「ソルカ・コステロ」
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カーメル・オディーは上で紹介したジョーン・ハンラハンの門下生です。冒頭の自己紹介でも「クレアの偉大なフィドル奏者ジョーン・ハンラハンから習った」と言っています。フィドルを始めて10年だそうです。
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トミー・ピープルズはドネゴール出身のフィドル奏者です。ドネゴールの奏者として紹介してもよかったのですが、クレアとの関係も深いのでクレアの奏者として紹介することにしました。トミー・ピープルズはここ30~40年の間で最高峰のフィドル奏者の1人に数えられるのではないでしょうか。ボシーバンドの初代のフィドル奏者でもあります。ボシーバンド以降はクレアに住み、一時期は100年以上の伝統を誇る「キルフェノーラ・ケーリー・バンド(Kilfenora Ceili Band)」に在籍したこともありました。彼の影響力は非常に大きく、クレアにはトミー・ピープルズの影響を受けた演奏家が多くいます。
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トニー・リナーンはクレア州のコロフィン(Corofin)出身のフィドル奏者です。トミー・ピープルズの影響をもろに受けた奏者の1人で、随所にトミー・ピープルズっぽさが現れています。コンサーティーナの大御所ノエル・ヒルとリリースしたアルバムはコンサーティーナ&フィドルのデュエット作品の大名盤と呼ばれています。
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ジェームズ・カリナンもトミー・ピープルズ、先輩格のトニー・リナーンの影響を受けたクレアを代表するフィドル奏者の1人です。ちなみにトニー・リナーンとジェームス・カリナンはそれぞれ本業が飲食業ということで共通項があります。(トニー・リナーンはパブ、ジェームズ・カリナンはレストランを経営しています)
ジェームズ・カリナンの演奏が聴けるルナサのケヴィン・クロフォードのソロアルバム「In Good Company」。ほぼ全曲フィドルとフルートのデュエットで、トラック毎に違うフィドル奏者が弾いています。このページで紹介しているコナー・タリー、トミー・ピープルズ、トニー・リナーンにマーティン・ヘイズ、前ページで紹介したマニュス・マグワイア、ショーン・スミスも参加しています。このアルバムのジャケットの絵を描いたは全ページで紹介した「エトナ・ヴァレリー」の旦那さんのブライアン・ヴァレリーです。ブライアンとエトナの息子の一人がケヴィンと一緒にルナサで弾く「キアラン・ヴァレリー」です。
と、アイリッシュ音楽は色々なところで、色々なものが繋がっているのです。
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東クレア・スタイルは読んで字のごとくクレア州の東側に伝わる演奏法です。クレアの東側といってもそれなりの広さがあるので、クレアの東側ならどこでも東クレアスタイルかというと、そういうわけでもありません。一般的に「東クレア・スタイル」の演奏家というとタラ(Tulla)、フィークル(Feakle)、スカリフ(Scarriff)を結んだ「三角地帯」に集中していると言われています。実際に古い時代の「東クレア」を代表する奏者の大半はこのエリアの出身です。最近「どこどこスタイル」といった地域性は大分薄れてきていて、東クレアの中にも東クレアスタイルではない奏者も多くいますし、東クレア以外の出身者で東クレアスタイルで弾く奏者も居ます。
東クレアはこんなところです。
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パディ・カニーは東クレアを代表するフィドル奏者の一人です。
彼の父親のパット・カニーはこの地域を代表する演奏家にして優れた講師でもあったので、この界隈にはパット・カニーから習ったという奏者が多くいます。
マーティン・ヘイズの父親のPJヘイズもパット・カニーの弟子の一人でした。
パディ・カニーといえばその独特の演奏スタイルから1950年代は大変な人気を博し、アメリカのカーネギーホールでソロリサイタルを開いたこもありました。
1959年にリリースしたアルバム「オール・アイルランド・チャンピオンズはこの時代にリリースされたアイルランド伝統音楽のアルバムの傑作中の傑作と呼ばれ、多くの奏者に影響を与えました。有名なフィドル奏者ケヴィン・バークもそのうちの一人です。
パディ・カニーは1953年にオールアイルランド(アイルランド音楽の国際コンクール)で優勝しています。
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PJヘイズは東クレア出身の有名なフィドル奏者「マーティン・ヘイズ」の父親です。地元のケーリーバンド「タラ・ケーリー・バンド」のリーダーを50年近くに渡って務めた東クレアの音楽の代表的な存在です。
マーティン・ヘイズの父親「P.Joeヘイズ」のフィドルのソロ演奏を聞ける「タラ・ケーリー・バンド(Tulla Ceili Band)」の結成40周年記念CD
当サイト内のこちらのページではタラ・ケーリー・バンドの結成70周年記念のコンサートの模様をご覧いただけます。
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シェイマス・コノリーはクレア州のキラルーの出身です。キラルーを「東クレア・スタイル」のエリアに含めるかどうかは微妙なところですが、クレア東部の出身の偉大なフィドル奏者の一人であることは間違いありません。
キラルーは場所柄ティペラリー州との結び付きが強く、シェイマス・コノリー自身もティペラリー州出身の「パディ・オブライエン」から影響を受けています。(先に紹介したアイリーン・オブライエンの父親)
シェイマスとパディ・オブライエンとチャーリー・レノンの3人でリリースした「バンクスオブシャノン(Banks of Shannon)」というアルバムはフィドル&アコーディオンデュエットの大名盤と言われています。
シェイマス・コノリーはアイルランド音楽の国際コンクール「フラー(Fleadh)」のフィドル部門で1961年と1963年に優勝しています。
1961年は前ページで紹介した「ブレンダン・マグリンチー」と死闘(!?)を演じたことで知られています。
1961年のフラーではシェイマス・コノリーとブレンダン・マグリンチーが同点で決着がつかず、順位を決定するためのプレーオフを行い、それぞれがもう一曲ずつ弾いたのですが、再び同点となってしまいその後決着がつくまで深夜になるまで延々と弾き続けたそうです。
その翌年の1962年はブレンダン・マグリンチーが雪辱を晴らし、翌63年は再びシェイマスが優勝しました。
70年代にボストンへ移住しボストン・カレッジに新設されたアイルランド学(Irish Studies)学部のアイルランド音楽学の講師に就任しました。
ボストンカレッジで開催されたアイリッシュフィドルのフェスティバル「マイ・ラブ・イズ・イン・アメリカ(My Love is in America)」はシェイマス・コノリーの企画によるものです。
シェイマスの弟のマーティン・コノリーは地元クレアでアコーディオンの製作家として活躍しています。彼の作る「キンコーラ・アコーディオン(Kincola Accordion)」はアイリッシュのアコーディオン奏者の間では評判が高いようで特にクレアでは使っている人をよく見かけます。
シェイマス・コノリーとパディ・オブライエンのフィドルとアコーディオンのデュエットアルバム「Banks of Shannon」
フィドル&アコーディオン・デュエットの大名盤といわれているアルバムです。
パディ・オブライエンはこのページで先に紹介したアイリーン・オブライエンの父親です。
前ページで紹介している「チャーリー・レノン」がピアノの伴奏で参加しています。
シェイマス・コノリーが手掛けたアイリッシュ・フィドルのフェスティバルのライブの模様をCDにした「My Love is in America」
アメリカ在住のアイリッシュ・アメリカンのフィドル奏者たちの演奏を聞くことができます。
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ヴィンセント・グリフィンは東クレアの音楽のメッカともいえるフィークル出身のフィドル奏者です。言わずと知れた私「Taka」のお隣さんです。ヴィンセントについてはこちらのページをご覧ください。
ヴィンセントは1974年のオールアイルンド(フラー・キョール)勝者です。
私のお隣さん「ヴィンセント・グリフィン」のCD
82歳の時の作品です。
ヴィンセントの演奏。この時で80歳です。
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マイケル・ダイナンは東クレアのマハラ(Maghera)出身のフィドル奏者です。母親も地元ではよく知られたコンサーティーナの奏者で100歳を過ぎても演奏をしていたそうです。マイケルの本業は大工さんで、フ自分で作った三角形のフィドルを弾いていました。
マイケル・ダイナンの演奏はアイルランド音楽家協会(CCÉ)からリリースされている「The Humours of Tulla」というCDで聞くことができます。
フィークルのショーツバー(Shortt's Bar)に飾られているマイケル・ダイナンの写真
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マーティン・ヘイズは説明不要でしょう。言わずと知れた国際的に活躍するアイリッシュフィドラーです。葉加瀬太郎さんも弟子入り(?)していましたね。葉加瀬太郎さんのアイリッシュフィドル挑戦記はこちらでご覧いただけます。マーティンは1981年と1982年のオールアイルランドで優勝しています。
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ミホール・オルークはクレア州のタラ(Tulla)出身のフィドル奏者です。
ミホールは2002年にピアノ伴奏で、2004年にフィドルでオール・アイルランド(Fleadh Ceoil)の勝者となっていあす。
彼はこのページで紹介したシェイマス・コノリーの弟のマーティン・コノリーの奥さんの「モーリン・グリン(Maureen Glynn)」の門下生です。
モーリン・グリンはエニス界隈ではとても有名な指導者で、エニス周辺にはモーリンの指導を受けた演奏家多くいます。
ミホールはシェイマス・コノリーの影響も受けているようで、アコーディオンのラリー・ギャビン(Larry Gavin)、ピアノのチャーリー・レノン(Charlie Lennon)とリリースした「Two Miles to Tulla」というアルバムは、シェイマス・コノリーとパディー・オブライエンとチャーリー・レノンの3人でリリースした「バンクスオブシャノン」の再来と言われ高い評判を博しました。
チャーリー・レノンは前のページで紹介している、アイルランドを代表するフィドル&ピアノ奏者の一人です。
ミホールはアイルランドの名門医大「アイルランド王立外科医学院」を卒業した外科医師でもあります。
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ソルカ・コステロは東クレアの奏者としてリストに挙げた中では一番若いフィドル奏者です。
彼女はタラ(Tulla)出身の著名なコンサーティーナ奏者「メアリー・マクナマラ」の娘です。
苗字が違うのは母のメアリーが旧姓のまま名乗っているからです。(アイルランドでは珍しいことではありません)
このページで紹介したオールアイルランドの12歳以下の部門で優勝したシェーマス・ゴーマン君と同じように、彼女もオールアイルランド(フラー・キョール)の12歳以下部門で優勝した経験があります。
その後は優勝からは遠ざかっていますが、現在では東クレアだけでなく全国区で活躍するフィドル奏者として成長を遂げています。
2016年には母と弟の3人で「レディース・カップオブティー(Lady's Cup of Tea)」というアルバムをリリースしています。
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ウエスト・クレアスタイルも東クレア・スタイル同様、読んで字のごとくクレア州の西側に伝わる演奏スタイルです。といってクレアの西側ならどこでもウエスト・クレアスタイルかというと、そういうことはなく基本的にウエスト・クレアスタイルの演奏家と呼べる人達はミルタウンマルベイを中心とした海岸線エリアに集中しているようです。
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パトリック・ケリーはウエストクレアの「クリー(Cree)」出身のフィドル奏者です。
演奏の特徴は「マイケル・コールマン」の世代が近いとあって、コールマンの影響はあまり見られません。
パトリック・ケリーはマイケル・コールマンについて「The Worst thing that ever happened to the West Clare style of fiddling was the appearance of Michael Coleman's records. (ウエスト・クレアのフィドル奏法にとって最悪な出来事はマイケル・コールマンのレコードの出現だ)」と言ったことがあったそうです。
「フォックスハンターズ(The Foxhunter's)」というリールがパトリック・ケリーの18番だったそうで、この曲を流行らせたのもパトリック・ケリーだそうです。
参考音源として取り上げたのはオールドバージョンの「バックス・オブ・オランモア(The Bucks of Oranmore)」です。
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ジュニア・クリハンはウエスト・クレアの「ムラ(Mullagh)」という村出身のフィドル奏者です。フ
ィドルはこの下で紹介しているボビー・ケイシー(Bobby Casey)の父親の「Scully Casey」から習ったそうです。
曲の作曲でも有名で代表曲には「ミストカバードマウンテン(The Mist Covered Mountain)」や「ゴールデンキャッスル(Golden Castle)」、「フェアウェルトゥミルタウン(Farewell to Milltown Malbay)」や「オッターズホルト(Otter's Holt)」などがあります。
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ボビー・ケイシーはウエストクレアの「Crosses of Annagh」出身のフィドル奏者です。
父親の「Scully Casey」はこのエリアを代表するフィドル奏者の一人で、ボビー・ケイシーも父親からの手ほどきを受けて演奏を学びました。
一回り以上年上で、ボビーの父親から習ったジュニア・クリハンはボビー・ケイシーの兄貴分的存在だったようで、ジュニア・クリハンからも影響を受けたようです。
また近隣にはウィリー・クランシーも住んでいて、互いに影響を受けていたそうです。
私生活でもウィリー・クランシーとボビーは一緒にロンドンに移住しています。
ウィリー・クランシーは数年でクレアに戻ってきますが、ボビー・ケイシーはその後の生涯をロンドンで過ごしました。
移住先のロンドンのアイルランド音楽界を支えた人物の一人として知られ、ロンドン在住の多くの演奏家に影響を与えました。
ボビーは1952年のオールアイルランドで優勝しています。
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ジョン・ケリーはウエストクレアの「Kilbaha」出身のフィドルとコンサーティーナの奏者です。
フィドルだけでなくコンサーティーナの奏者としてもよく知られています。
成人してからはダブリンへと移り住み、ダブリンのアイルランド音楽シーンの中核的存在となりました。
イリアン・パイプスの振興団体である「Na Píobairí Uilleann」の前身となった「パイパーズ・クラブ(Piper's Club)」の設立に関わった他、チーフタンズの前身となった「Ceoltóirí Chualann」のメンバーとしても活躍しました。
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ジョー・ライアンはウエストクレアの「Inagh」出身のフィドル奏者です。
上のジョン・ケリーと同様に職を求めてダブリンへと移り住みました。
ダブリンでは超絶技巧のフィドラー、「トミー・ポッツ(Tommy Potts)」の影響を受けトミーを慕うようになります。
また同郷のジョン・ケリーと共にダブリン市内の「オドノヒューズ・パブ(O'Donoghue's Pub)」で16年に渡りセッションホストを務めていました。
その後ミーズ州(Co. Meath)のJulianstownへと移住し、ラウス州(Co.Louth)のドロヘダ(Drogheda)のセッションシーンでも活躍しました。
ジョーは1969年のオールアイルランドで優勝しています。
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