アイリッシュ音楽の認定講師の免状の授与式に出席
visiting Ireland to receive TTCT diploma
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
4月26日から5月10日まで約2週間アイルランドに行ってきました。2015年10月にアイリッシュ音楽の公認講師資格試験を受験するためにアイルランドに来て以来約半年ぶりの訪問です。
アイルランド音楽の公認講師資格試験に無事合格し、5月1日に講師の免状「TTCT*」の授与式がアイルランド音楽の国際協会「Comhaltas Ceoltoiri Eireann (コールタス・キョールトリ・エーレン)」の本部であるというので、免状の授与式に参加しようと思い、今回の訪問を決めました。
*アイリッシュ音楽の公認講師資格の正式名称「 Teastas i dTeagasc Ceolta Tíre」の略。英訳では「Certificate for teaching national music」、和訳だと「国家(アイルランド)の音楽を教える資格」という意味になります。
前回は試験のための勉強合宿と試験に時間を取られてしまい、ほとんど観光できなかったので、今回は久々にアイルランドをあちこち回ってみました。
前回はダブリンから入国したのですが、今回はアイルランド南西部のコーク(Cork)から入国しました。入国後まずは以前住んでいたクレア県のフィークル村へと向かいました。
フィークルではタラ・ケーリー・バンド(Tulla Ceili Band)という地元のバンドの結成70周年を記念したフェスティバルが行われていて、これに行くのも今回の滞在の目的の一つでした。タラ・ケーリー・バンドには日本でも有名なフィドル奏者「マーティン・ヘイズ」が在籍しています。
コークからフィークル村へ向かう途中、コークの「Nad」という村を通ってみました。ここは日本在住のとあるアイルランド人フィドル奏者「マイキー・オシェイ」の出身地なのです。日本に帰ってから「Nad」を通ったと話たら喜んでいました。
「Nad村」のメインストリート。パブが一軒ある以外は何もない、フィークルよりも田舎です。
「Nad村」のお隣の「カンターク(Kanturk)」という町の外れにある「カンターク城」。カンタークは有名なシュリーヴ・ルークラ・スタイルのアコーディオン奏者「ジャッキー・デイリー(Jackie Daly)」の出身地です。
カンタークの町。そこそこの規模の町です。Nad村から一番近い日用品を買える所となると、ここの町でしょうか。
その後「バックロード(裏道)」を抜けて国道を通ってフィークルへ。
フィークルに着いたらさっそくフェスティバルのコンサートをやっているコミュニティセンターへと向かいました。
タラ・ケーリー・バンド(Tulla Ceili Band)は私が住んでいた「フィークル村」のお隣のタラ村(Tulla)で結成された、「ケーリー・バンド*」で2016年に結成70周年を迎え、それに記念したイベント(フェスティバル)がフィークルでありました。
*「ケーリーバンド」とは、セットダンス(Set Dancing)というアイルランドの踊りの伴奏をするバンドで、アイルランド各地のそれぞれの村や地域を代表するバンドがあります。バンド名には結成された村や町などの名前を付けることが多いです。
タラ・ケーリーバンド結成70周年記念フェスのポスター
フェス初日のコンサートではクレアを代表するもう一つのケーリーバンド、「キルフェノーラ・ケーリーバンド(Kilfenora Ceili Band)」との共演もありました。
結成70周年記念フェスでのタラ・ケーリー・バンドの演奏です。
コンサートではマーティン・ヘイズとデニス・カヒルや、
コンサーティーナのメアリー・マクナマラと娘のソルカ・コステロなども出演しました。
この日はRTE(アイルランドの国営放送局)の音楽番組の収録があり、プレゼンターでバンジョー奏者としても活躍するキーラン・ハンラハンが、バンドのメンバーにインタビューしていました。写真はインタビューを受けるマーティン・ヘイズです。
フェスティバル・コンサートの翌日は、フィークルに住んでいたときにお隣さんだったフィドルの名手「ヴィンセント・グリフィン (Vincent Griffin)」にも会ってきました。
ヴィンセントの家から見たアイルロッジ(以前住んでいた門番小屋)
フィークルに住んでいた時はあまり意識しなかったのですが、上の画像のフィドルのおじいちゃんとは、この距離で暮らしていたのかと思うと、アイリッシュ音楽を学ぶのに物凄く恵まれた環境に居たんだな~と改めて実感しました。
夜はフィークル村のパブのセッションに行ってみました。
こちらは「Bohan's (ボーハンズ)」であった日本でもお馴染みのパット・オコーナー&オーイン・オサリヴァンとジョン・カニーのセッション。
フェスティバル期間中はいろいろなセッションに行ってみました。
こちらはフィークルの隣村の隣村「オキャラハンズミルズ」のブラックスティックスというパブでのセッションです。
フェスの合間を縫って、今回のアイルランド訪問のメインイベントであるアイルランド音楽の国際協会「Comhaltas Ceoltóirí Éireann」が認定するアイリッシュ音楽の公認講師の免状の授与式に出席するためにダブリンへ行ってきました。
ダブリンに向かう途中「アップル・グリーン(Apple Green)*」で腹ごしらえ。久々のフル・ブレックファストです。*アイルランドのガソリンスタンド。食事ができたり、シャワー施設が付いた日本の高速のパーキングエリアに相当する設備をもった店舗があります。
免状の授与式はダブリン郊外のモンクスタウンにあるコールタス(アイルランド音楽の協会)の本部「Cultúrlann na hÉireann」で行われました。
授与式までの間、出席者に食事を出してくれました。
こんなちゃんとした食事が出てきました。(ただで)
知ってればアップルグリーンなんぞ寄らなかったのに・・
デザート付きです。
いよいよ晴れて免状の授与式へと臨みます。
一番前の檀上に居るのはアイルランド音楽家協会のお偉方です。
左から4人目の方がアイルランド音楽家協会の会長(president)のAnn Finnegan女史です。その左隣に座っているのはDirector Generalを務めるLabhrás Ó Murchú氏です。Labhrás Ó Murchú氏は政治家としても有名で、アイルランドの大統領候補になったことがあります。
TTCT*の授与者の名前を読み上げるSiobhán Ní Chonaráin女史。
CCÉのスタッフのお一人ですが、フルート奏者として、またシャーンノスの歌い手としても知られています。日本で活躍するフィドル奏者「マイキー・オシェイ(Mikie O'Shea)」の先生の一人でもあります。
*公認講師の免状の正式名称「Teastas i dTeagasc Ceolta Tíre」の略。
CCÉ会長より免状を手渡される「レベッカ・マッカーシー・ケント」。
アイリッシュ音楽の国際コンクール「Fleadh Cheoil na hÉireann(フラー・ヒョール・ナ・へーラン)」で優勝した経験を持つウォーターフォード州出身のフィドル奏者です。
免状を受け取るSeán McElwain(ショーン・マッケルウェイン)。モナハン州出身のバンジョー&ブズーキの奏者で、テーダ(Téada)というバンドのメンバーとして日本ツアーしたこともある実力のある演奏家です。
今年の新認定講師の中で唯一北アイルランド出身のKathleen McMahon。北アイルランドのファーマナ州の出身です。
ファーマナ州出身というとそこそこ有名な奏者を輩出しているので、伝統音楽の盛んなところなのかなと思っていたら、それほど盛んでもないようで、私たちの世代が頑張らなかったら伝統音楽は廃れていく一方なので、地元の子供たちに伝統音楽に親しめる環境を作っていくために、認定講師の資格を取ることにしたと語っていました。
彼女からは教育実習の時にファーマナ州に伝わる曲を教えてもらいました。
授与式が終わった後、皆で記念撮影を撮りました。一番右の方は10月の教育実習の時にお世話になったフィドル奏者のショーン・モンゴメリー氏です。彼からは色々なことを教わりましたが、特にジョー・リディが作曲した曲やジョー・リディ自身について色々と教えてもらいました。
ショーン・モンゴメリーは1970年代に将来を期待されるフィドル奏者の一人として、Gael-Linn*がリリースした「Fhidil, Straith 1」というフィドルのコンピレーションアルバムに収録されています。このアルバムには若かりし頃のマーティン・ヘイズも収録されているそうです。
*アイリッシュ音楽の老舗CDレーベル。1970~80年代の名盤の大半はここからリリースされています。
これが私の免状です。自分の名前「Taka」以外はアイルランド語で書いてあるので、なんて書いてあるのか自分でもよく分かっていません。
アイルランド語を分かる人に見てもらったら、「上級者まで教えられる」と書いてあるそうです。TTCTには資格取得試験の成績に応じて初級者までしか教えられない免状と上級者まで教えられる免状があるそうです。
これまでは何を言っても「自称」フィドル奏者、「自称」フィドルの講師に過ぎなかったのですが、これでとりあえず一応「公認」のフィドルの講師となることができました。
フィークルに戻ってから前に住んでいた家の大家さんにこの免状を見せたら「お前はカントリー音楽の先生になったのか!?」と言われてしまいました・・
「TTCT」とはアイルランド語の「 Teastas i dTeagasc Ceolta Tíre*」の略で、英語だと「teaching certificate for national music (国家の音楽の指導資格)」という意味になるのですが、「国の」とか、「国家の」を表す「teastas」は「country」とも訳せるので、大家さんは「teaching certificate for country music (カントリー音楽の指導資格)」と思ってしまったようです。*teastas=国家の teagasc=指導する ceolta=音楽 tíre=資格
ちなみに大家さんはアイルランド人ですが、アイルランドの音楽のことは何も知らない普通の人です。(普通のアイルランドの人は自国の伝統音楽のことを何も知りません)
Cultúrlann na hÉireann(アイルランド音楽協会の本部)併設のパブでセッションしている子供たち。全員上で紹介した新認定講師のKathleen McMahonの子供たちです。子供たち全員に伝統音楽をやらせているそうです。
私がフィークルでヴィンセント・グリフィンの隣に住んでいたと話したら、「ヴィンセントをウィリー・ウィーク*で見た。超かっこよかったー!ヴィンセントの演奏を毎日のように聞けるなんていいないいな」と言っていました。*毎年7月に開催される世界最大のアイリッシュ音楽のサマースクール。アイリッシュ音楽を弾く人でこれに参加したことが無いという人は皆無でしょう。
免状の授与式が終わった後一旦フィークルへ戻り、翌日からクレアを離れて北西部のリートリム(Leitrim)という県に向かいました。
クレアからリートリムまでシャノン川沿いに下道沿いに(アイルランドに上道も下道もないのですが、シャノン川沿いの道はどう考えても"back roads"なので・・)北上していきました。
ダーグ湖畔のポートムナの町外れにレンタルボート屋さんがありました。
アイルランドではこの手の船を借りて旅をする人も多くいます。アイルランドは免許がなくても操縦できるそうです。
いつかこんな船を借りてシャノン川の遡る旅をしてみたいものです。
リートリムに向かう途中で見かけた中華料理店。店の名前が・・・
リートリムでは「ダウラ」という村に住むご家族の家に滞在しました。
以前からホームページを見ていて、ぜひ一度伺ってみたいと思っていたのです。
奥さんが日本人の方でとてもよくしていただいて、とても貴重な体験をすることができました。
ダウラのお宅ではなんとロバを飼っていました。ペットのロバはフィークルでもあまり見ないかも・・
ダウラ村のステイ先へ続く道。フィークルよりも田舎だ!
ダウラ村滞在中のサプライズがロスコモン州の田舎のこのお宅の訪問でした。
この家はもともとはジョシー・マクダーモット (Josie McDermott)というアイルランドを代表するフルート&ティンホイッスル奏者が住んでいた家で、現在はアイルランドを代表するフィドル奏者の一人であるジェリー・ハリントン(Gerry Harrington)が住んでいます。
家の壁に掛けられていたジョシー・マクダーモットの写真。
現在の住人のジェリー・ハリントン。
思わぬところでジェリー・ハリントンの演奏をたっぷりと聞けて、二人っきりでセッションもできてとても貴重な体験となりました。
ジョシ—・マクダーモットの家があるロスコモン州はアイリッシュ音楽の盛んな土地で、チーフタンズのフルート奏者のマット・モロイなど数多くの有名な演奏家を輩出しています。ロスコモンのキジュー(Keadue)という村には盲目のハープ奏者「オキャロラン」のお墓があります。
夜はダウラ村の家の方にスライゴのセッションへ連れて行ってもらいました。ここのセッションはアコーディオンの有名な奏者「シェイマス・ハノン」の息子さんがホストでした。すごくフレンドリーでいいセッションでした。
ダウラ村で2日間過ごした後は買い物&6月にやるかもしれない(?)ライブの練習のためにダブリンへ。
写真は若者に人気のある「テンプルバー」という所です。
テンプルバーの中にあるスタジオでライブの練習をしました。
田舎者の私はダブリンはいつ来ても"お上りさん"になってしまいます。
夜はコブルストーンというパブのセッションに行ってみました。
セッションは夜遅くに終わったのですが、ダブリンには泊まらずに夜通し車を走らせてアイルランド西部のディングルへと向かいました。
ブランドン山はコロンブスよりも前にアメリカ大陸に向けて航海したと言われているアイルランドの聖人「聖ブレンダン」にちなむ山で、聖ブレンダンがアメリカへの航海の前にこの山に登ったといわれています。写真はブランドン山のふもとに建てられている聖ブレンダンの像です。
ブランドン山の登山道からの眺め。ふもとの湖は「Loch Cruite (ハープ湖)」という名前の湖です。「Cruite」はアイルランド語で「ハープ(竪琴)」の意です。
ここがブランドン山の頂上です。頂上には十字架が建てられています。
ブランドン山の頂上からの眺め。
ディングル半島全体が見渡せるほかブラスケット島もよく見えます。
ディングル半島の北東の端にある「ブランドン岬(Brandon Point」。聖ブレンダンがアメリカへの航海へと出発した岬と言われています。
ブランドン山の登山を楽しんだ後は夕食を食べにディングルのお隣のアナスコールという村の「南極宿(South Pole Inn)」というパブに行きました。
このパブは世界で初めて南極点へ遠征したイギリスのロバート・スコット隊の一員だったトム・クリーン(Tom Crean)が始めたパブで、店内には世界初の南極探検の際に撮影された写真など、南極探検の貴重な資料が数多く飾られています。
アナスコール村の公園に建てられているトム・クリーンの像。
ちなみに絵葉書でよく見るこのパブもアナスコールにあります。
アナスコールからディングルへと戻る道に建てられている、アイルランドあるあるな道路標識。いったい何キロで走ったらいいの?
ディングルで泊まった宿(ホステル)。前に私からフィドルを習ってくれていた子が働いているホステルです。
部屋は4人部屋ですが、なんと泊まっているのは私一人!超快適でした。
翌日はリムリック南東のバリーハウラ山地(Ballyhoura Mountains)で、山歩きをしようとディングルを後にしたのですが、途中から雨が降ってきてしまい山登りは中止に。
適当にドライブしながら予約していたバリーハウラ山地近くのホステルへと向かいました。
後から知ったのですが、この日はアイルランド音楽の国際コンクール「Fleadh Cheoil na hEireann (フラー・ヒョール・ナ・へーラン)」のティペラリーの県予選をやっていたそうです。知っていれば行ったのに!
バリーハウラ山地はリムリック南東のティペラリー州とコーク州のそれぞれの県境に位置しているのです。ティップ・フラー*(Tipp Fleadh)はリムリックとの県境近くの村でやっていたそうです。(*ティペラリー州の愛称)
今夜の宿、バリーハウラ山地への最寄り町の「Kilfinane」にある「バリーハウラ・ホステル」。
5人部屋でしたが、ここでも泊まっているのは私一人!
アイルランド滞在も残りあと2日、リムリックの「Kilfinane」を後に向かった先は再びクレア州。フィークルではなく州都のエニスに宿を取りました。
エニスでの宿泊先は「Rowan Tree Hostel (ローワン・ツリー・ホステル)」というホステルです。
ひょっとしてまさかここでもと思ったら、
なんと、
ここでも泊まっているのは私一人でした。部屋はファミリールーム(予約したのは普通のドミトリー)に泊まらせてくれて快適でした。
帰国前の最後のセッションは前にフィークルに住んでいた時によく通っていたティペラリーのセッションに行ってみました。
セッションの始まる時間まで、ダーグ湖畔沿いをドライブして回りました。
これはダーグ湖に面した「ニュータウン」という町にある水車です。
この水車は今現在でも「実用可能なコンディション*」で保たれているアイルランドで数少ない水車の一つだそうです。*実際には使われることはないそうですが・・・
ニュータウンはフィドルの「ショーン・ライアン (Sean Ryan)」の出身地としてもよく知られています。ショーン・ライアンは作曲家としても有名で「Glen of Aherlow」や「Castle Jig」などはショーン・ライアンによる曲です。写真はニュータウンの村の入り口に建てられているショーン・ライアンの功績を称える石碑です。
ダーグ湖畔沿いの茅葺屋根のコテージ。
湖畔より望むダーグ湖。ダーグ湖はアイルランドで二番目に大きな湖で、シャノン川の一部でもあります。
ダーグ湖畔のドライブの後はギャリーケネディーのセッションへ。
ギャリーケネディーのパブのセッションの模様。
真ん中のフィドルを弾いているおじいちゃんは有名なバンジョー奏者「ジェリー・オコナー(Gerry O'Connor)」のお父さんです。確か85歳くらいだと思いましたが、今でもセッションで弾いています。
セッションで歌うノーラ・バトラー女史。この界隈ではとても有名なシンガーです。
彼女とはTTCTの免状の授与式でも顔を合わせていて、まさか帰国前日にここのセッションで再会できるとは思っていなかったので、すごく嬉しかったです。
ノーラさんのCD。彼女は所謂シャン・ノース(Sean-Nos)でもなく、トラッド・フォークでもなく、バラッドもない、アイルランドが世界に誇る「ジョン・マコーマック(John McCormack)」が歌ったような歌を得意とします。
ギャリーケネディーのセッション後は東クレアのトムグレイニーのパブをハシゴします。
週末にフラーの県予選があったので、フラー帰りの若いミュージシャンが来ていました。一人の子はアコーディオンの18歳以下の部で優勝したそうで、かなりの腕前の持ち主でした。(暗くて見えにくいのですが、奥でアコーディオン弾いている子がその子です)
フラー(Fleadh)とはアイルランド音楽のコンクール(コンペティション)「Fleadh Cheoil na hÉireann (フラー・ヒョール・ナ・へーラン)」のことで、毎年8月に全国大会があります。
アイルランドでは5~6月に各県で県予選が、6~7月に地区大会があり、地区大会で2位まで入ると、全国大会に出場することができます。
全国大会=世界大会で世界中からアイルランド音楽の奏者が集まり演奏技術を競い合います。もちろん日本人の奏者も参加しています。
日本でも今年(2016年)日本初のフラー予選を開催することが決定して、標準記録(85点)を突破し2位までに入ると、日本代表として世界大会への出場権を得ることができます。
いよいよ明日で帰国となりました。今日はエニスからコークへ向かい、コークで一泊してコーク→アムステルダムと乗り継いで日本へ戻ります。
写真はリムリックトンネルというトンネルで、私がフィークルに住んでいた2010年に完成したトンネルです。シャノン川の下を通っているトンネルで、このトンネルを使うとリムリックの町中を通らずにコーク方面に抜けることができます。(有料道路です。)
只今シャノン川の真下を通過中
途中で入ったスーパーのホットデリで買った、いわゆるアイルランド版ほっか 弁。右側のクリーム色の物体はマッシュポテトです。左上のオレンジ色はニンジンのマッシュで、肉はローストビーフでグレイビーソースがかかっています。
最後の晩はちょっと贅沢にホテルに泊まることに。翌朝早いので空港に隣接した「Cork Airport Hotel」に泊まりました。
今回も1人部屋です。当たり前ですが・・
ホテルの窓からの眺め。目の前が空港なので助かりました。
翌朝エアリンガス*でアムステルダムへと向かい帰路へと就きました。
*アイルランドのフラッグシップキャリア
アイルランドで発行されているアイリッシュ音楽の雑誌「Treoir」に私のことを紹介した記事が掲載されました。
日本人(&アジア人)として初めてアイルランド認定の講師資格試験に合格したということで、特集記事が掲載されました。
ちなみに「公認講師の資格試験」を受験した日本人やアジア出身の演奏家や指導者は私の前にも居るそうです。
皆、試験には合格できなかったそうで、試験に合格した上で認定講師の資格を得た日本人は私が第一号だそうです。
見出しに「Taka makes TTCT history (Takaが歴史を作った)」がでかでかと書いてあってちょっと恥ずかしいですが・・・
私のアイルランドで学んできた指導法を活かして、日本にアイルランド音楽の演奏家が増えるきるよう頑張っていきたいと思います。
[アイリッシュ音楽の教室/レッスン情報]
[バンジョーのレッスン] [オンラインレッスン]
[レッスン代について] [レッスンのよくある質問]
[フィドル/バイオリン関係]
[演奏スタイル] [フィドルの基本の基本] [練習方法]
[フィドルのお勧めCD] [教則本や曲集の紹介]
[お隣の名フィドル奏者] [フィドル奏者名鑑]
[ティンホイッスル(縦笛)関連]
[バンジョー関連]
[アイルランド音楽全般]
[アイルランドの曲] [アイルランド音楽の音階]
[アイルランド音楽の楽譜]
[ABC譜] [初心者向け定番曲集] [セッション定番曲集]
[アイルランド音楽の試験、指導資格、留学情報]
[アイルランド音楽の試験] [試験のススメ]
[アイルランド音楽のフェスティバル]
[アイルランド音楽の国際コンクール]
[Home]
[レッスンの料金]
[よくある質問]
[プロフィール]
[お知らせ]
[お問い合わせ]
[フィドルとは]
[ブログ]
[アイルランド生活]