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Tour de France in Ireland
このページでは私がアイルランドに訪れるきっかけとなった、1998年のツール・ド・フランスについて書いています。
今でこそ、私「Taka = アイリッシュ音楽の人」というイメージが定着してきたような気がしますが、、、(多分・・・)
私が最初にアイルランドに興味を持ったきっかけはアイルランドの音楽ではなく、自転車競技だったのです。
たまたまテレビで「ツール・ド・フランス」を見たのがきっかけで、自転車競技に興味を持ち、高校生の頃は自転車競技部に入って競技を行っていました。
私が自転車競技に興味を持ち始めた頃に活躍していた選手といえば、グレッグ・レモンとかデルガドといった選手がいたのですが、個人的に好きだったのはアイルランドのショーン・ケリーでした。
ショーン・ケリーが活躍した時代はアイルランド全盛期ともいえる時代で、ツール・ド・フランスで優勝したスティーブン・ローチや、数々のビッグレースでアシストとして活躍したマーティン・アーリーなど、多くのアイルランド人選手が世界の第一線で活躍していました。
日本で初めて開催された本格的なステージ・レース「ツールド北海道」でも、初期のころはアイルランドの選手が参加していました。
アイルランド出身の選手に憧れたのがきっかけで、やがて彼らの母国であるアイルランドという国にも興味を抱くようになりました。
いつかアイルランドに行ってみたいなと思いつつもなかなか果たせないでいたのですが、アイルランドでツール・ド・フランスが開催されると聞き、一念発起としてアイルランド行きを決意。
この時点はまさかその後アイリッシュ音楽を演奏するようになるとは夢にも思っていませんでした。
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下は1998年のツール・ド・フランスの公式ガイドブックです。
1998年のツール・ド・フランスはスタート地点はアイルランドのダブリンでした。
アイルランドとフランスが手を組んでイギリスに戦いを挑んだ、1798年のアイルランド反乱(Irih Rebellion of 1798)から200周年を記念して、スタート地点がアイルランドになったそうです。
1798年のアイルランド反乱についてはこちらのページをご覧ください。
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公式ガイドに載っている1798年のアイルランド反乱についての記事
ツール・ド・フランスをアイルランドで開催するきっかけの一つとなった、1798年のアイルランド反乱(Irish Rebellion of 1798)について書かれたページ。
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公式ガイドの最初のページには1998年当時のアイルランドの首相「バーティ・アハーン(Bertie Ahern)」の挨拶が載っています。
アイルランドでは自国の首相のことを「ティーショク(Taoiseach)」と呼びます。
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首相の挨拶の後、数ページにわたってアイルランドでツールを開催するに至った経緯が書かれています。画像に写っているのはアイルランド人として初めてツール・ド・フランスで優勝した「スティーブン・ローチ(左)」と、世界ランキング1位の常連だった「ショーン・ケリー」です。
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スティーブン・ローチはアイルランドの首都ダブリンのダンドラム出身で、1987年に「ツール・ド・フランス」と「ジロ・デ・イタリア」の2大ツールに加え「世界選手権」でも優勝した偉大な選手です。
スティーブン・ローチの活躍を紹介したアイルランドのTV番組からのカット
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ショーン・ケリーはティペラリー州のキャリック・オン・シュア(Carrick on Suir)の出身。グランツールで活躍したスティーブン・ローチとは対照的に主にクラシックレースで活躍した選手です。パリ-ルーベ、ミラノ-サンレモでそれぞれ2回優勝したほか、パリ-ニースでは7連覇という偉業を達成しています。
「ザ・ロードバイクレーシング」というロードバイクの入門書です。日本でもけっこう売れた本だと思いますが、この本の監修者はショーン・ケリーです。
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ガイドブックには他のアイルランド出身の選手も紹介されています。
画像はダブリン出身のマーティン・アーリー(Martin Earley)です。
常にスティーブン・ローチとショーン・ケリーの陰に隠れた存在の選手でしたが、1989年のツール・ド・フランスではステージ1勝をあげアイルランド人として4人目のマイヨ・ジョーヌ着用選手となりました。スティーブン・ローチが優勝した1987年の世界戦ではローチの同胞として好アシストを見せています。
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シェイ・エリオットは1960年代に活躍した選手で1962年の世界選手権で銀メダルを獲得、1963年のツール・ド・フランスでステージ1勝をあげアイルランド人として、また英語圏出身の選手として初めてマイヨ・ジョーヌに袖を通した選手となりました。
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写真は1896年の世界選手権で優勝したダブリン出身のハリー・レイノルズ。自転車に時代を感じさせます。
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コースは初日にダブリン市内でのプロローグで幕を開け、二日目はダブリン市内からウィックロー州の山岳地帯を経て再びダブリンに戻ってくる180kmのコース。三日目は1798年のアイルランド反乱の際に激戦地となった、ウェックスフォード州のエニスコーティ(Enniscorthy)からアイルランド第二の都市コーク(Cork)に至る200kmのコース。その後空路でブルターニュ地方のロスコフへと渡り翌日の第四ステージからフランス国内に戦いの舞台を移すというスケジュールでした。
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1998年のツール・ド・フランスのコース解説の動画です。
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初日のプロローグはダブリン中心部を回る5.6kmの個人TTでした。
グラフトンストリートの東端(トリニティカレッジ側)からスタートして、ナッソー・ストリートを北上しメリオン・スクエア、セント・スティーブンスグリーン、パトリック・ストリートと駆け抜け、リフィ川沿いの長い直線を経て最後はオコンネル通りでゴールするというコースでした。
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下馬評ではミスター・プロローグの異名を取るイギリスのクリス・ボードマンが優勢との見方が強く、実際にプロローグを制したのはボードマンでした。
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プロローグのダイジェスト動画(クリス・ボードマンのみ)
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2日目の第一ステージはダブリンのオコンネル通りをスタートして、スティーブン・ローチの出身地ダンドラムを経由して、ウィックロー山地へと入り、再びダブリンに戻りフェニックス・パークでゴールする180.5kmのコースでした。
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第1ステージは最後は激しいゴールスプリントとなり、ベルギーのトム・スティールス(Tom Steels) (リールのタイトルと同じ!)がステージウィナーに。
総合成績では前日のプロローグを制したクリス・ボードマンがマイヨージョーヌを守り切りました。
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第1ステージのダイジェスト動画です。
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3日目の第2ステージは、ウェックスフォード州のエニスコーティからアイルランド第2の都市コークへ至る205.5kmのコースで争われました。経由地にはショーン・ケリーの出身地「キャリック・オン・シュア(Carrick on Suir)」などが含まれます。
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第2ステージは総合1位のクリス・ボードマンが落車でリタイアを余儀なくされるという大波乱があり、他にも落車の多いステージとなりました。
チェコのヤン・スヴォラダがステージ優勝、ドイツのエリック・ツァベルが暫定総合1位に付けました。
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第2ステージのダイジェスト動画です。
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第2ステージ終了後選手たちは飛行機でフランスへと渡り、翌日の第3ステージはブルターニュ地方のロスコフからロリアンへと至る169kmのステージでした。
その後この年のツールはドーピングによる失格者(失格チーム)が多く出て、当初の参加者の数が209人に対し完走者が96人という異例の大会となったのでした。
総合優勝はイタリアのマルコ・パンターニでタイムは92時間49分46秒でした。2位には前回(1997年)大会優勝のヤン・ウルリッヒが入りました。
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